※作者より 「au jour le jour」...「その日その日に」の意。 その日のとどめておきたい記憶を写真に納めました。 |
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<arrivee> PARISに到着したのは、 昨日の17:00。 初めて1人できた外国。 今から三週間、 私の生活が始まった。 |
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朝6:30のPARIS。 2月、あたりはまだ暗い。 町や人々が起き出すのは 7:30頃だ。 毎朝のジョギングは ひとりPARISで生活する リズムを確保するために 日本を発つ前から決めていた事だ。 初日はやはりやめようかと 怖じ気づいたが、 やってよかったと今は 心から思う。 リズムを作れた事、 土地感を養い、場所の把握が できたこと、 生活の匂いを感じれた事、 綺麗なものなど発見が多かったこと、 写真を沢山とれたことなど、 やっぱり、 早起きは三文以上にお得だった。 [10/1update....next→11/1] |
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<Auvers-sur-Oise> 週末はのんびり過ごした。 最初の土曜、ゴッホの家へ向かった。 ここはある人から良い所だったと聞き、 是非とも行ってみたかった場所だ。 パリ北駅から人気のない電車に揺られ、 窓から景色を眺めていた。 市内から一歩出ると 建物の様子はがらりと変わり、 小さな家々が立ち並ぶ田舎町になる。 改めてパリはフランスのごく一部、 華やかな都会なんだと思った。 なんとなく心細く寂しい気持ちになりつつ、 ゴッホの晩年の地Auvers-sur-Oiseへ。。。 | |
降り立った場所は 季節のせいか観光客もまばらで、 さびれた街という印象を受けた。 てくてく歩いてゴッホの家へ向かう。 小さな窓のある小さな部屋。 ゴッホが自殺した部屋だ。 ここは家も部屋もそして ゴッホが描いた風景も残されている。 今、私の立っているこの道を、 はるか昔、あの有名なゴッホや 彼をよく知る人々が歩き 生活していたんだ。 この地を歩いていたゴッホは まだ有名人ではなく、 ただ1人の絵描きだった。 なんだか、 有名だとか無名だとかに、 いつもどこか左右されている自分に気付く。 そんな事を感じながら オーベルジュの教会を抜け、 本日お近づきになった人に 挨拶に行こう。 やっと見つけたゴッホのお墓には、 季節はずれのヒマワリが供えられていた。 [11/1update....next→12/1] |
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<nuit> 見なれない 可愛い部屋で目がさめる。 私がなぜパリにきたかというと、 Paris collectionで ショーにでたかったからだ。 モデルならば、 見てみたいと思う人も多いだろう。 私もその1人だ。 「本物を見なさい、 なんでも最高と最低を知ることだよ」 見たかった。そして此処まできてしまった。 | |
私の目標はひとつだったが、 自分が見れる全てのものを見ようと思った。 感じられるもの全て できること全て 会える人全てに 敏感でいること。 望むものに近付く事さえ できない可能性もある。 それでもこの滞在は 必ず何か得るものがあるはずで、 一つも無駄にしたくなかった。 この3週間はまるまる私だけのもので 邪魔されたり、気が散るような事は 何一つないのだから 満喫したいと思った。 実際は 不安はいつもつきまとい 気持ちは常に焦り 最初は何度も帰りたいと思い 泣きながらメールを書いた日もあった。 人は嫌だった事、都合の悪いことは すぐに忘れられるらしい。 私は特にそうなのだろうか? すぐ弱音を吐きたくなる自分に カッコ悪い日本人だと罵った日だって 確かにあったはずなのだけど。 それでも、今、思い返す事ができるのは、 そんな事よりももっと充実した毎日の方だ。 私の見たものは、わたしだけのものだろう。 同じものも目が違えば違うものだ。 それが大事なことに思う。 ここで描きたいと思うのは、 ただ1人の私がみた風景のカケラのようなもの。 [12/1update....next→1/3] |
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<16eme/environs> 私の住んでいたのは8区にほどなく近い16区だった。 シャンゼリゼ大通りのすぐ裏の治安の良い場所。 8区はシャンゼリゼ、凱旋門、St-Honore通りなど ブランドショップが立ち並び観光客も多く華やかで賑やかだが、 一本裏道に入り16区になると オフィスやブティックのある閑静な住宅街になる。 こんな所にかなりの安さで滞在できたのは 幸運としか言い様がない。 朝の散歩から戻り、朝食を済ませ家を出る。 管理人のおじさんが入口を掃除している。 隣の床屋のおじさんが外を眺めている。 「Bon journee!(良い一日を)」と声をかけてくれる。 ドキドキしつつこちらも挨拶を返す。 なんとなく本当に?住んでるような気持ちが嬉しくなる。 |
歩き疲れて夕方、MONO PRIX(チェーン店のスーパー。至る所にある)で 買い物を済ませて帰路につく。「自分の」鍵で「自分の」家に入る。 慣れてきてもやはり異国で、知らない人と知らない言葉で話すのは、 楽しくもあるが、エネルギーを使うのだろう。家に帰ってきた時は毎回とてもホッとする。 部屋に入り、ひと休みすると今日の出来事を整理して明日の計画と準備。 買ってきたスープを温め、パンと一緒に食べる。Parisのパンは安くて美味しい。パンが好きで助かった。ひとり部屋で食べる食事はなんだか、寂しい。 でもシャワーを浴びると疲れているせいか、夜はホームシックになる暇もなく寝入ってしまう。 どこでも寝れるという母譲りの特技が役立った。 何でも食べれて何処でも寝れるというのは、海外で生活する時、とても便利なのである。 [1/3update....next→2/1] |
<marche> Parisの朝市。いたる所に曜日決めで市場が出る。開店時間は7:00-14:30。地区によって値段も品物も雰囲気もちがうらしいが、スーパーで買うより、断然新鮮で安い。色とりどりの野菜達は枝や葉が付いたままだし、沢山の種類のチーズや作り立てのヨーグルトは計り売り、氷の上には新鮮な魚や魚介類、かわいいお皿には何種類もの美味しそうなパテ、オリーブ、手作りのお菓子など、見ているだけでも楽しい。 |
6:30位からテントが張られ、それぞれのお店に運ばれてきた品物が次々に出てくる。私はこの開店前の30分が大好きだ。たった何時間かの市場だが、品物の配置は完璧だ。自分達の持ってきた品物をひとつひとつ丁寧に並べていく。その手付きと眼差しの真剣なこと!ほぼ全テントでこの状態だとその集中力がなんともいえず気持ちよく、また自分だけ呑気なのが少し気まずく、不思議な気持ち。黙々と作業する姿が自分達の仕事をとても愛してるように見えて、なんだか感動してしまう。そして、こんな所にフランスで生きる人を垣間見たような気がしていた。 [2/1update....next→3/1] |
<1eme/Arts> 私にはパリは美しかった。街を歩けば、生活の中にこんなにアートが自然と在るという事に感動する。出会う気ならば出会えるのだ。小さな店先にさえ美的感覚がごろごろしている。 美術館やギャラリーも多い。建物の庭に写真でみたことのある彫刻が当たり前のように置いてある。ギャラリーなんかももちろん誰か人間が作ってオーナーがいるのだが、オーナーよりも我が物顔で『在る』という印象だった。そして人々もそれをわかっている。人はその建物の歴史の一部でしかないことを楽しんでいる。 それはとても美しかった。 [3/3update....next→4/1] |
周知のとおり、ルーブル、オルセ−美術館には多数有名作品が展示されている。学生のころ教科書でみた絵画や彫刻がすぐそこに在る。日本で出版物の中で何度目にしたかわからない。私は美術品に通じてるわけではない。名画といわれてもピンとこないことが多々あった。でも目の前に本物があるというのは、私にとっては全く違うものだった。好みは別として、名画といわれる作品は人を立ち止まらせるオーラがある。 もっとずっと見ていたいと思わせる何か。 原因はわからない。周りの建物のせいかもしれない。外国のものに圧倒されているのかもしれない。でもやはり、空気とそれによる伝わり方と、そしてその作家のその作品がそこに在るべき理由が歴史と空気とに調和されてる感覚。 |
<le temps> パリに少し長く滞在した事のある人は必ずこういうだろう。 「パリと日本は時間の流れが違う。」 時間の流れ。 ほんとうにゆっくりと、緩やかな時が流れる。 朝、ひとりカフェでコーヒーを飲む。馴染みの店員と挨拶をする。 昼は友人とランチを楽しむ。(ランチと言えど、かなり本格的な食事をするらしい。パリのレストランで独りで食事してる人はほとんどいない。するとしたらファーストフードかカフェ。いつも独りの私はパンで済ますことが多くなった。) 仕事が終わると家に帰り家族と過ごす。 ヴァカンス期間は学校も会社も長期休暇にはいり、家族でニースやなんかに行ったりする。 | |
パリに住んでいる日本人の友人は「フランス人は働かない」と言っていた。 時間がきたら、『FERME(閉店)』。(これには困った事も多々あった。) でも私は思った。 彼らは仕事が嫌いではない。 どちらかというと、日本人のほうが仕事嫌いだ。 彼らは仕事をしてる時、各職業に徹してる印象をうける。 彼らにとって仕事は職であるからプライドも高く それだけ熱心かつ楽しんでいる。 またそれは生きる糧であり自身とはまったく別の場所に存在している。 だから規定の時間のみで自分のやるべき仕事を終わらせ、帰路に着き、別の自分の人生を楽しむ。 |
仕事好きの道楽者と仕事嫌いの働き者はどちらが褒められたもの か。 [4/3update....next→5/1] |
<scene> また行きたくなってきた。 | セーヌが流れている。 タングステンのライトが灯る。 灰色の雲がかかっている。 花が売られている。 ショコラティエがある。 バゲットを持っている。 カフェにチョコがついてくる。 古本屋がある。 朝市に行く。 アンティークレースがある。 絵を描いている。 バイオリン弾きがいる。 マカロンが並ぶ。 店の前に座って本を読む。 恋人たちが橋に座っている。 ム−ル貝の山を平らげる。 車をぶつけて走り出す。 ワインを飲む。 外国人に道を聞く。 電車で子供達が狙っている。 天気がいいと人が増える。 言葉の音がする。 美味しい蜂蜜。 教会に人が集まる。 [5/1update....next→6/1] |
<langue> 私は当然フランス語ができると思われている方も多いかもしれない。 そういえば断りをいれてなかった気もする。私はフランス語もできなければ、フランスの歴史も学ばず、ただ行ったのだ。 それで何をえらそうに。。。と我ながら思うが、実際言葉ができなくても見る事、感じることはできるので、こうして思い付くまま描いている。私は今になってフランス語勉強中だ。(といってもいつまでも入門編から抜けだせずにいるのだが。) どこでも同じことだが、そこで生活している人とのコミュニケーションがあってはじめて、面白いと思う。私がパリにいて、幸運だったのは、言葉ができなくてもパリに住んでいる日本人の方と交流をもて、それによって、フランス人とも接点を持てたこと。また目的が観光ではなかったので、興味が自然と人間や街へと向けられたのだろう。 一度目は何も聞こえない自分の中のパリ。 次はまた違うフランスを感じることができるはず。 今フランス語のキーセンテンスを一つ覚えて口に出す。 [6/6update....next→7/1] | |
<4eme> 滞在して一週間ほど。 私は、パリが嫌いになっていた。 はじめは美しくて素敵な街。 しばらくすると、人や生活を観察しはじめる。 そして、自分との差がみえてくる。 その時の感じ方こそ、人それぞれだろう。 『パリにきてすぐ自分はココだ、と思った』 と話す人もいた。 私は、はなから移住を考えていなかった為、 やはりよそものとしての視点でしか、 きっと最後まで見なかったに違いない。 なぜ嫌いになったか。 単に"違う"から。 自分の経験になかったものだからだ。 国民性というものを初めて体感した。 なんとなくパリの居心地の良さに気付いていた。 居心地がいいのはいいことだ。 でもそれを非難したい気持ちになっていた。 愚かにも井の中の蛙はまわりを見ようとしない。 井の中の蛙がそとへ出たら、どうするだろう? 自分のしらない真実を素直にうけいれるだろうか? 私は"自分は正しく、相手がおかしいのだ。"と思おうとした。 だからパリもフランス人も冷たく感じた。 | 居心地の良さがとても表面的に感じたのです。 |
<Teruko> 幸い私には何でも気軽に話せる相手ができていた。 ---輝子ちゃん。 彼女は私が部屋を借りた家に一緒にすんでいた いわばルームメイトならぬホームメイト?である。 彼女はパティシエの勉強をしにきていて、 私より三ヶ月ほど前からそこに住んでいたので、 私はわからないことはなんでも彼女に聞くことができたし、 なんと私が到着してすぐに、家の人々はバカンスへ行ってしまい、 留守中は居候二人の気まま生活だったのである。 "国民性の違い"という簡単な解答も 話し相手がいなかったら 気付くまでに時間がかかったかもしれない。 そして、頭で理解した上で観察すると、 不思議なことに、その違いを楽しめるようになり、 改めて日本(つまり私自身)に深く根付いた 国民性や悪習も客観的にみるようになる。 ほんとに未熟で単純なものである。 [7/7update....next→8/1] | |
<6eme/le jardin du Luxembourg> 朝、リュクサンブール公園。 パリには私のように町中をジョギングする人は少ない。 少し恥ずかしい。 園内には走ったり、ウォーキングしたり運動している人がいる。 私は逆にここまで走ってきてしまったので、ひと休み。 なかなか素敵な公園である。 公園の外周に大きなパネルがあり、写真など屋外展示していたので、それを見たくて遠出したのだが残念ながら入れ替えなのか、空だった。 一周してみる。 一人の黒ずくめの男性が木立の間で奇妙な動きをしている。 ?? 太極拳。 私も日本ですこし、気巧や太極拳を習ったことがあり、奇妙な親近感を覚えた。もう少し行くと、今度は3人くらいで輪になって気巧をやっている。 お〜〜・・・ 5,6人位のマダム達が一人の中国人男性に太極拳を習っていた。 赤や青の鮮やかな扇子を片手にもっている。 写真をとってもいいかと尋ね、撮らせてもらった。 しかし、それだけじゃ物足りない。 一緒に太極拳をやらせてもらった。 今思えば、教室なのだから、勝手に参加してよかったのかしら、なんて思うが、あの時は嬉しくてしかたなかったのだ。 母国のものではないが、遠いフランスでアジアの文化が「積極的に」取り入れられていることが。 ダンスを踊るように楽しい気分だった。 | パリで私はアジア人だった。 日本も中国もパリでは同じ。 それは少し悲しくもあった。 [8/1update....next→9/1] |
<repos> 何もしたくない日も。 [9/1update....next→10/1] | |
<La pluie cesse> 私のいたパリは冬。 私のイメージしていたパリは灰色の重い雲。 低く小さな声の流れるカフェ。 昔フランスのモノクロ映画をみたせいである。 想像通りの灰色。 想像よりもはるかに綺麗なひかりの変化が 灰色の空にひろがる。 ある日、3月の初めだったか、すごくいいお天気の日があった。 昨日まで着ていたコートは脱いで、陽射しが春を予感させる。 私はシャンゼリゼ大通りを抜け、オルセー美術館まで歩く事にした。 平日の午前10時か11時だというのに、公園のベンチはたくさんの人で賑わう。 この太陽を喜び、満喫しているのだ。 セーヌにかかる橋にはたくさんの恋人達。 ほんとうに楽しくなる。 ---雨の日は皆おとなしいんだって、晴れるとみんな、外にでるのよとパリで仕事をする女性が言っていた。 ほんとだあ。 キラキラした光の中で人々の気持ちが反射する。 夕方、雨に変わる。 カフェにいた人達は姿を消している。 [11/1update....next→12/1] | すみません・・・。一ヶ月お休みしてしまいました。深くお詫び致します。 |
<2eme/le passage> パリにいく前に、 『パリ20区の素顔』 という本を読んだ。 その本の中で、 私に大きな種を植え付けた箇所がある。 『passage』という存在である。 屋根つきのアーケード街。 パリにはたくさんのパッサージュがあるとのこと。 なかでもviviennneという名のパッサージュは 一番古いものだと本の中で紹介されていたので、 是非行ってみたくなった。 第一名前が素敵じゃないか。 到着して間もない頃、 パリ在住の友人にどこか (観光に)行く予定はあるのかと聞かれ、 viviennneに行きたいと思っていると答えたら、 けげんな顔をされたのを覚えている。 そりゃそうだ。 ただの道なのだから。 | |
私の中に植え付けられた種は 想像の中で芽生え、パリで花開くことになる。 私はパッサージュ好きになった。 至る所にパッサージュがあった。 気付かず通って、 「あ、ここもパッサージュなの?」 という所もあるし、雰囲気だって全然違う。 私は不思議なくらいその存在に惹かれて、 地図で自分の近くに見つけると わざわざ遠回りして通った。 お洒落でもなんでもない所もある。 通り抜けるためだけのものもある。 日曜のパッサージュも好きだ。 店はほとんど閉まっているので、 外の雑踏から隔離されてとても静か。 ルーブル近くのパッサージュは床のモザイクが印象的で、物静かで頑固そうなおじいちゃんのいる 骨董屋があり、 中には宝物がゴロゴロしている。 そしてやはりヴィヴィエンヌがいい。 初恋の人という感がある。 名前もすき。天井の高さもすき。 そこにある古本屋もすき。 独特の年老いた感じが落ち着く。 静けさと音の響きが心地いい。 [12/3update....next→1/1] | |
<16eme/musee de Marmottan> マルモッタン美術館に初めて行ったのは 雪のちらつく朝だった。 開館時間よりも早くついてしまい、 外で20分ほど待つことになった。 数人の人が寒さの中、開館を待っていた。 小さな白い家。 アーチ型の小部屋に窓があった。 早く中に入ってみたくて 周りをウロウロしては中の様子を伺っていた。 道路から見ると随分高い所に窓があり、見上げる格好になる。 白い壁に白い格子窓、 部屋の中にはタングステンのシャンデリア。 とても綺麗だった。 雪でカメラが濡れないかしら? カメラを構えた。 シャッターを切った瞬間、 中にひとり女性が現れた。 そして彼女は私に気付き、目と目が合った。 少し微笑んで、すぐに姿はなくなった。 私は盗み撮りしたようなバツの悪い気持ちになりながらも、 なんとなくやんちゃな、楽しい気持ちになった。 | |
開館時間。 やっと寒さから開放された。 撮影禁止でカメラは入り口に預ける。 小さな美術館の地下には モネの睡蓮が 円形の壁いっぱいに広がっていた。 本当にこんな場所があるの? 私はベンチに腰掛け、 モネのみた風景を存分に味わった。 のちにジヴェルニ−にモネの家が観光施設として開放され 蓮池もみれるということを知った。 何時間すわっていただろうか。 帰りがけ、そういえば朝目が合った彼女は いなかったなと思いながら、美術館を離れた。 雪はもうやんでいた。 [1/19update....next→2/1] | |
<3eme/musee Picasso> こんどの日曜はピカソ美術館に行こう。 3区に向かう。 中学生の美術の授業。 「画家をひとり選び、作品を模写し、作者について研究し発表せよ」 という課題がでた。 私が選んだ画家はピカソ。 ただ有名だったこと、 彼の名前が嘘みたいに長かったのが 面白かったという幼稚な理由からだった。 5年後、箱根彫刻の森美術館で 彼の精力的な活動と、楽しんで描かれた作品を見た。 なかでも闘牛シリーズ。 ピカソが好きになった。 ピカソ美術館の近くに行ってみたいカフェがあった。 とても古くからあるカフェだそうだ。 ここはガイドブックに載っていたのを見たのだけど、 ガイドブック嫌いな私には珍しいことだった。 早起きをしてる私はいつもフライング。 しかも日曜日。 カフェは閉まっていた。 |
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美術館には開館と同時に入った。 一枚の絵をすごく気に入った。 良く見ると作品の右下に「Margrt」の文字。 最高だった。 「ピカソが好き」といいながら、 私はパリのピカソ美術館では その一枚以外、あまり覚えていない。 本物を沢山みて良かったと実感することのひとつである。 感受性は人それぞれ。 自分なりの楽しみ方、すきなものを発見できる。 それで十分。 立派な美術鑑賞である。 綺麗なものを見て感じる気持ちに決まりはない。 [2/10update....next→3/10] ※いつも御愛読ありがとうございます。更新遅れてばかりですみません。。。 次回から毎月10日に更新します!!期日守れるように。。。 | |
<1eme/le__ Louvre> パリジェンヌはお洒落だと思っていないだろうか。 一般の人は洋服も生活も とてもシンプルで実用的だと思う。 流行ものでゴテゴテした日本とくらべると質素である。 パリ・コレの季節になると、ファッション・ピープルと呼ばれている人達がサントノーレや、ルーブル付近に姿を現すくらいだ。 それでも街はお洒落だ。 ファッションの背景にアートが根付いているからだろうか。 ショーウィンドウの使い方も綺麗だし、 色の配色センスは素晴らしい。 あとは個人で開いているブティックが多いことも 美しさの秘訣だろう。 帽子のデザイナーさんのブティック、 アンティークレースのお店、 それぞれその作品、品物を愛する人自身が扱っているので、 見せ方もそれぞれのこだわりがあって美しい。 感覚が違うのだろう。 |
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パリ・コレを目指して此処まで来た私は、 日々キャスティング回りをしていたが どんどん落ちて行くので 合間を縫ってはコレクションを見に行くよう努めた。 時間を無駄にはできなかったので、 落ち込む前にしたいことがあったのだ。 デフィレはプレスやバイヤー、ファッション関係者など invitationを持っていなければ入れないので 知り合いに頼んだり、ガルーゼルで並んだり して見に行った。 私はゴルチェのデフィレを見に行く事ができた。 これは一見の価値ありだった。 迫力が違う。 日本でファッションショーの仕事をした事はあったが、 こんなに盛り上がった事はない。 客と一体化していた。 ライヴの世界だった。 かっこいい。 やはりコレクションに出てみたいという気持ちは高まる一方、 全く土壌の違う日本しか知らなかった私は、 根底からの違いに気付いて 完敗だと思ってしまった瞬間だったかもしれない。 [3/10update....next→4/10] |